洞爺地区の文化財



洞爺の開拓は明治20年(1887年)に始まり、約130年もの月日が経とうとしています。巨木が生い茂る未開の原始林を開墾していった偉業、そして数多くの苦労の証が各地に文化財として残されてきました。過去をたどり歴史を紐解きながら次世代へと歴史を語り継ぐ大切な場所として、これからも大事に守っていきたいと思います。ぜひ足を運んでみてください。





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浮見堂



大正67年ころ、ある像を背にした1人の旅のお坊さんが松橋家の門をたたき、宿をこいました。1ヶ月ほどたったある日、その像が夢枕に立って、「私を大事に祀れば、この村は必ず産業が発達して豊かになる」と言ったので肌身はなさず持っていた聖徳太子像を置いていったことから、この地にまつられるようになりました。毎年7月にお祭りが行われいます。


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地神塔



本州から移住した人々は農業などに従事する場合も多く、信仰も持ち込まれています。穀物や食物の神々の名を刻んだ五角柱の石碑は「地神(ちじん)塔」と呼ばれ、町内には数多く認められます。
石碑には天照大神、大己貴(おおなむぢ)大神、少彦名(すくなびこな)大神、植山姫(はにやまひめ)大神、倉稲魂(うかのみたま)大神(豊受(とようけ)大神)の神の名が彫られています。五穀豊穣を祈り、また秋の収穫のお祭りを行いました。


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頌徳碑(しょうとくひ)



明治20年に入植し洞爺村を開拓した、香川県旧丸亀藩士三橋政之らの業績をたたえ、開基80年を迎えた昭和43年に建てられた。レリーフには、開拓の先駆者たちが彫られている。



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栄藤(さかえふじ)



洞爺村開拓の祖、三橋政之に仕えていた丸亀藩士京極高徳の弟である高直が大事に育てていた藤と伝えられています。樹齢は140年と言われており、旧洞爺村の歴史とともに栄え育ってきた由緒ある名木です。昭和43年、この由来を知った明治クラブの方々が「栄藤」と名付け、大切にされてきました。